FC2ブログ

    個ってなにだろう?

    風邪で体調が良くないからか分からない。

    ずっと根っこにある気持ちを引きずってるのが噴出し始めたからかも知れない。

    いま、ものすごく助けてほしい。

    昨日の夜中2時過ぎまで、今までの嫌なことばかり思い出して眠れなかった。

    あたしのこういった負のパワーで、元気なひとの「気」まで奪ってしまったら申し訳ないので、
    この先は、スルーお願いしますm__m


    注)かなりダラダラ長いです;;




    人にはそれぞれ、キャパシティみたいなものがあって、

    例えば、同じレイプ被害者でもPTSDにならない人も居るし、自殺してしまう人も居る。

    良い悪いの問題じゃなく、人それぞれ限界の度合いも違うものだと思う。

    ずっと以前に書いた「引用ー」の中に出てきた少女が自殺に追い込まれたのも、

    彼女を助けようとする身内や理解者がひとりも居なかったこと、助けを求めた主治医にまで裏切られてしまったことが原因なんだろう。


    あたしは、立ち直れない このことを、誰にも責められたくない。

    迷惑だ、と思われているなら、もう自分ではどうしようもないお手上げ状態だ。

    生き難さのなかで、もがいていて、立ち止まっていて、過去に囚われて。

    周りの期待に応えようとしても、いつかまた傷口が開いてしまうだろう。

    身内といえども、性暴力に対する温度差があまりにも違うことに今更ながらショックを覚える。

    赤裸々にレイプの状況やその後のことを知っていても。

    他者に解りやすく説明することや、説明しても無駄だということが分かってきて、

    そんなことは当然じゃないか、と言われてしまえば二の句も無いんだけど。

    今まで訴えたことが何にもなっていない、無駄だったと思うと絶望的になってしまう。

    世間や周りの望むように回復しなければならないのなら、

    それが社会というものなら、

    あたしはもう一度、記憶に蓋をして記憶の鍵を捨てなければならない。

    自分に起こったことは大したことじゃないんだ、一生引きずるようなことじゃないんだ、

    或いは、何も起こらなかったんだと

    自分に言い聞かせなければならない。

    実際、その思いを何度も自分に言い聞かせて、人間関係をリセットしてきたのだから。

    昔は精神障害者に「治療」と称して、「ロボトミー」という手術が行われていた。

    脳に外科手術をして、完全な廃人にしてしまう手術。

    映画「カッコーの巣のうえで」がこの手術の悲惨さを表しています。

    けれど、あたしは何年も前、院長にこの手術をしてほしいと懇願したことがありました。

    院長は「今は禁止されてるから僕が逮捕されちゃうよ」と勿論取り合ってくれなかったけど

    死ぬこともいけない、苦痛と生きなきゃならないのなら、いっそ廃人にしてほしいと思ったのです。

    この苦痛というのは何なのか。

    レイプ経験そのもの、その後遺症と、何よりも周りのプレッシャーです。

    ありささんにも、このプレッシャーがあったのではないか、と書いたことがありますが

    実際、あたし自身にも ずっとありました。

    というより、それしかありませんでした。

    「引用」の少女が自殺してしまったのも、周りの「大ごとにするな、忘れてしまえ、揉めるな」というプレッシャーからなのだと思うのです。



    ある意味では、レイプが自分の意思じゃなく起こったことであっても、

    その後の人生すら、自分の意思ではどうにも出来ないケースもあり得るのです。

    その後の人生は自分の意思で幾らでも変われる、というメッセージを発信した方が居られるそうです。

    これは良い悪いの話しじゃないことを始めに言います。


    被害者のその後は、人それぞれの感じ方やダメージの大小に関わらず、

    複雑な要因が入り混じることが多いのです。

    自分次第でどうにでもなる、といえる人も居れば、

    性被害のあと、風俗店でしか生きられなくなる人や

    アダルト女優として擬似レイプの作品に出る人もいる。

    彼女たちの「今」は「過程」なのかも知れませんが。


    院長が、レイプ被害者のグループ療法に反対した理由は、まさにそこにあるような気がします。

    生きてきた環境も、回復の度合いも違う患者同士が、

    それぞれの価値観と意思で話し合えば、どういう影響が出るのか。

    あたしには想像が出来ます。

    元々、被害者はレイプに遭う自分を責めていることが多いので、

    順調な回復期にあるメンバーの言葉で、立ち直れない自分を更に責めたりすることがあり得るのです。

    自分の意思でどうにでもなる、というメッセージは被害者にとって希望を持たせてくれる言葉でありますが、

    自分の意思すら見失ってしまったりしている被害者にとっては危険な言葉でもあるのです。

    この方がどこまで、そういった被害者をも想定して発言したのか分かりませんが、

    前提として「アクまで自分のケースです」と付け加える配慮が必要だったと思いました。

    ひねくれ者のあたしだけかも知れませんが

    「どうにでもなる、ことの筈なのに、どうにも出来ない愚かな自分」と感じてしまう時があるからです。

    この方の「どうにでもなる」という境地にまで達するには、相当な闘いがあったと思われます。

    きっと今現在も、闘いながら生きていらっしゃると思います。

    ただ、葛藤中の被害者が藁をもすがる思いでこの言葉に助けを求めれば求めるほど、

    その言葉に縛られてしまいそうな気がします。

    克服がいつか成功して、少しゆとりを持って過去の自分を振り返ったとき、

    この言葉はすんなり入って来るかも知れません。

    「何事も、自分次第・気持ちの持ちよう」という達観したような言葉は

    大きな希望にもなるけれど、ひと言では難しい気がします。

    「自分次第」ということは、「自己責任」という一面が見える気がするのです。

    そうすると、自己責任なのだから後のことは自分で解決しなさい、と言われているような。


    そう感じてしまう自分は、やはり屈折しているのかも知れません。

    素直じゃないのかも知れません。

    でも、どうしようもないほど 世間との距離を感じてしまうんです。

    レイプというものを、自分個人だけの問題として捉えていて良いのか。

    勿論、自分自身の闘いであるわけだけど、

    実際は、自分 対 社会 みたいな図式もあるわけです。

    個人で闘っていることだけど、相手は大きな社会・・のような。

    加害者も加わりますが、社会の性犯罪に対する偏見や無理解、無救済との闘いでもあるのです。

    自分の闘いがひと段落ついたと言っても、

    世の中には、まだ性犯罪が起こってしまっている。

    だからって自分に何が出来るわけじゃないけど、その事で葛藤や闘いが続くのです。

    勿論、被害者すべてに「自分 対 社会」という図式を当てはめるものじゃありません。

    あたしの場合、自分との闘いの筈が、それだけで済まされないのが性被害というものじゃないか、と思うことが多いからです。

    望んでなくても社会のほうから入り込んで来ることも多いですし、

    まず身内の理解が得られ難いことから出発しなければならないからです。

    自分自身との闘いとは、実は社会との闘いでもある部分もあるのです。



    だからって、あたしには何も出来ることはないけど・・。




    関連記事

    プロフィール

    みぃ

    Author:みぃ
    2019年2月プロフィール更新しました。


    誰も咎めない、哂いものにしない.
    全ての差別に反対することは不可能なことじゃない。
    だから自分の間違いに気付けるようになりたい。


    境界性人格障害・レイプによるPTSDの患者でした。


    08年、社会復帰したので、本格的にレイプと闘う気持ちになりました。
    レイプ被害の現実などを、自分の一例としてたまに書いてます。
    何か私にお話がありましたら↓(メルアド変わりました)
    chibinet77(☆)yahoo.co.jp (☆)を@に変えてメールください。

    QRコード

    QR

    月別アーカイブ

    ブログ内検索

    ブロとも申請フォーム

    FC2ブログジャンキー