FC2ブログ

    スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    暴力をリアルに想像する


    フラッシュ・バックが起こる可能性があります。ご注意ください。




    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    加筆10月21日
    *田母神氏がツイッターで、沖縄で起きた米兵2人による性犯罪についてつぶやいた内容に、
    5000以上の反響があり炎上しているようです。
    多くは田母神氏に対する批判的な意見なのですが、
    この事件の被害者である女性は、この事態をいまどう感じておられるでしょう。
    私もブログを書いていて、書くたびに自問自答しています。
    もし、自分だったら?
    身も知らぬ人々が、ネット上で或いはTVで勝手に自分を分析したり批判してたら。。
    当事者の居ない場で、大きな話題になっていたら、どう思うだろう。

    だからといって、この世の中で、性犯罪が現実に起こっている事実に対して、
    黙して語らず、ということを肯定することも私には出来ない。
    私は大前提として、被害者の方の代弁なんか到底できるとは思っていません。
    裁判の判決などに対する不当性に、いち被害経験者として意見をいう程度のものだと思っています。

    自戒をこめて。事件当事者である被害者のかたへ。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・












    「チダイズム」のちだいさんのブログ記事を読み、怒りで今夜も眠れませんでした。
    注意として、井上氏のブログは読まないほうが良いかも知れません。
    非常に不快な気持ちに陥る可能性があります。



    実は、この記事を読むずっと前から、私の中でどうしても書きたいことがありました。
    ここ最近、腸が煮えくり返るような裁判の判決が続いたことも、その理由のひとつです。

    ちだいさんのブログファンの方々は違うと思いますが、
    どうしてこうも、この社会というのは性暴力というものを歪んで捉えたがるのだろう、と
    怒りを通り越して、空しい気持ちになるのです。


    そもそも、暴力って一体なによ。


    裁判所で、事件の審議を行う際に、
    被害状況など被害者から証言を聴いたりしますよね。
    場合によっては、現場の写真や被害の状況を映した画像なども見せることがあるようです。
    殺害事件の裁判などでも、そういったことはしていますよね。

    その凄惨な画像などを観せて、裁判官や裁判員に訴える手法なんだと思います。


    しかし、私たち一般の人間で裁判員じゃない立場の人間には
    当然、事件の写真などを観ることは出来ません。


    じゃあ、私たちは暴力事件の目撃者、または裁判員にならなければ
    実際の暴力というものを観ることはない、と言えるのか。


    暴力というのもは、環境によって、日常的にそこにあったり無かったりします。
    その定義について書くと、非常に長くなるので割愛しますが、
    私たちは意外と、身近に暴力が蔓延る世界で生きているのかも知れません。


    それなのに。。。
    暴力という字に「性」という字がくっつくと、
    途端に暴力の本質が霞んでしまうみたいです。

    道をただ、とことこ歩いて来た人に、いきなり一方的に誰かが暴力を振るっているとします。
    蹴ったり殴ったり首を絞めたりしています。

    そのとき、一方的に暴力を受けている人に向かって、
    「あぁ、あんなことされてるけど、仕方ないよね」とか
    「この道を歩いてしまったから自業自得」というでしょうか。

    日本には、喧嘩両成敗という言葉があるように、
    どっちもどっち、で片付けようとする風習ってありますよね。

    こいつが始めに殴ったから殴り返しただけだ、というような喧嘩なら両成敗は、あるでしょう。

    しかし、性暴力に対しても、この定義で同列に語っているのが現実です。
    まったく、ドン引きですよ。

    喧嘩両成敗って、ちょっと仲直りすれば、肩組んで飲みに行けるようなレベルですよ?
    これって、私の発想もオカシイのかな。

    さっき書いたような道端で・・・の例えを、私のケースに当て嵌めてもっと分かりやすくいうと。

    『毎日、会社で一緒に仕事をしていた上司。その上司と酒を飲んでお開きになった途端、豹変し、
     殴られ、蹴りを入れられ、首を絞められました』

    と、なるわけです。
    これの何処に「自業自得」とか「お前も悪い」という結論になって当然の箇所があるのでしょうか。

    この後に『強姦されました』という言葉がつくと、さも当然のことのように
    被害者にも「非」があると、説教・攻撃してくるんですよね。連中は。


    嗚呼~~~。まどろっこしい。


    私が書きたかったことを書くまでに、何でこんな子どもに教えるようなこと書かなきゃなんないんだろう。
    書きたかったこと、忘れちゃうじゃんw


    私が思うに、彼らはある意味、本当の暴力を観たことのない幸せな環境で生きて来たのかな?
    なんて卑屈なこと思っちゃうんです。

    暴力なんて、見ないに越したことないのですから、
    本当なら素晴らしいことなんですよね。

    だけど、彼らはきっと、暴力を暴力と思わない感覚の持ち主なのかもしれません。
    平和な意味なんかじゃなく。

    暴力を否定することは、すなわち、観なかったことにする能力。
    或いは、暴力を容認しているから。

    まぁ、私には容認する社会を作りたいとしか見えないのですけどね。


    井上氏は、自身のブログのコメントレスで、映画「告発の行方」を引っ張り出してきてまで
    被害者の方を批難しています。

    ちょっと!!告発の行方は私のものよ~~~~!
    あんたなんかに語られたくないんだよ~~~!言うな~~!
    この映画のお陰で、私は救われたんだぞ~~~!

    よーし、そっちが告発の行方を出して来るんなら、話は早い。

    こっからが本題なんだす(前置きが長くてごめんなさい)。


    ジュディ・フォスターさんが演じるサラ。
    井上さん、サラが何だっていうの?
    ああ、サラはノーブラにノースリーブで酔っ払ってて、おまけにマリファナ吸ってたよね。

    恋人と喧嘩してたから、ちょっと悪酔いしてたよね。
    んで、ジュークボックスの音楽にあわせて色っぽく踊り始めたよね。
    したら、男たちがサラに目配せして、ひとりの男がサラにしつこく纏わり付いて来たよね。

    無下に突き放すのも厄介のもとだから、キスだけさせて、やんわりと抵抗してたよね。
    「もう帰るわ。あたし朝が早いのよ。帰りたいのよ。もう帰らせて」とサラは意思表示したよね。
    そしたら、いきなりサラをピンボールの台に押し倒して、羽交い絞めにしたんだよね。
    キスしたり手でで口を塞いで、両手も力いっぱい押さえつけて、身動き出来ないようにしてたよね。
    更に、他の男2人がサラを押さえつけていたよね。

    そして、サラの下着を剥ぎ取り、強姦した。
    次に男2人も、サラを強姦した。
    周りにいた他の客たちは、サラを助けるどころか、手拍子をしたり笑ったり囃し立てていた。


    井上さん、このサラの行為のどこに、セックスを誘ったと映りましたか?
    音楽にあわせて色っぽく踊っていたからですか?
    ノーブラにノースリーブの格好だったからですか?

    あのサラに対する強姦シーンは、当時話題になりましたよね。
    一部では「過激すぎる」「ここまで描写する必要はない」とか評論家も言っていました。

    しかし、私は「どこが過激だと?これでもまだ温いわ」という意見でした。
    ジュディ・フォスターの迫真の演技は、本当にリアリティを感じさせるものだったし、素晴らしかったです。
    ウソっぽくキレイに済まそうとすれば出来た筈なのに、敢てリアルに描写したからこそ、
    私はこの映画に救われたのです。

    だからこそ監督は、被害者がステレオタイプのお上品なお嬢さんではなく、
    リアルに存在していそうな、プア・ホワイトのサラを主人公にしたのでしょう。

    何故って?




    あんたたちのように「あばずれ女がレイプされようが知ったこっちゃない。露出の多い服着て、ガラの悪い女はレイプされてもしょうがない」っていう輩に見せたかったからだよう!



    ・・・・・・でも、失敗だったみたいですね。監督。

    こういった暴力から目を逸らそうとする人間には、何も響かないどころか、
    うまく利用されちゃってますよ。
    真意が届いてないみたいね。都合の良い部分だけ切り取って解釈してるあたりなんか、
    井上氏のいう「従軍慰安婦」なんか無かった論と同じ思考回路に思えて来ちゃう。

    やっぱ、こういう人たちが「なかった、なかった」言うのって、
    この映画の引用から見ても信用性なっしんだわ。

    実際に兵隊として戦地に居た、五味川順平さんが「人間の条件」のなかで
    従軍慰安婦の話をお書きになっているんですが、五味川さんのほうが嘘だと仰るのかな。

    都合の良いトコ取りの井上氏は、映画を読み取る読解力も・・・なさそ。

    強姦という暴力についても、慰安婦問題についても、
    陳腐な想像力と理解力。

    本物の暴力を見たことないって?
    暴力ってのは、直視出来ないくらい凄まじい恐ろしさだよ。

    私の強姦されたシーンがもし映像としてあったら、是非、観て欲しかった。
    空想の世界で分かった気になっている連中に見せてやりたかった。
    何言っても通じない、無駄な犠牲かも知れないけどもね。。。




    スポンサーサイト

    死なないで、というメッセージ

    フラッシュ・バックが起こる可能性があります。ご注意ください。





    このブログには、毎日毎日【レイプ 告白】とか【本当のレイプ】といったキーワードで検索してくる人が
    とっても多い。

    大抵は性犯罪のリアルな描写を読んでみたい、とか、
    興味本位のアダルト目的だということは知っている。
    しかし、その他は本当に救いを求めて、または、性被害の境遇にある人の言葉を求めて来てくださる方もいる。

    現実は悲しいけど、アダルト目的の訪問者が、性被害の実態に興味を持ってはくれないものです。
    もし、わたしの文章にもっと読ませる力量があったら、
    その中のたった一人でも「心に引っかかる何か」を感じてもらえるのにな、と思う。



    私は、自分自身の性被害の原因は、ずっと自分の非によるものだと思い込んでいた。
    それは「周りの反応から察して」「社会的な一般常識」とかいうものを、押し付けられた所為だった。

    かれこれ事件から22年が経ったいま、このブログでも性犯罪というものは何か、を考えて来て、
    自分のなかで「被害者には何も責任などない」し、
    「被害者の落ち度」なんていう言葉自体が加害者側の論理だと、ハッキリ理解出来るようになった。

    だけど、たまに、いきなりフラッシュ・バックが襲って来ては、
    崖の下にドーンと突き落とされるような感覚に陥ることがある。

    強姦は【人間の尊厳に対する殺人】だと思う。

    私の場合、その、突き落とされる感覚というのを映像みたいにイメージすると・・・、
    いきなり誰かに胸のあたりを両手で突かれて、そのまま崖から海に堕ちて行く感じ?

    心臓のあたりに、鈍痛が走って、沈んで行くような感覚です。
    他の人の場合は、まったく想像が出来ませんので、あくまで私の場合です。

    だから、いくら頭では「自分は悪くないんだ」と解っていても、
    あの時のフラッシュ・バックに襲われると、たちまち過去の自分に戻ってしまうのです。
    過去の自分に戻ってしまうということは、
    「自分を責める自分」に戻るということです。


    まあ、いま私はこんなふうに揺り戻しはあるけど、回復しており、
    「死にたい」と思うようなこともなく、逆に「生きたい・生き延びたい」と
    強く願いながら毎日を生きています。

    けれど、世の中には性被害者だけでなく、様々な境遇で絶望の真っ只中に居て、
    毎日生きるのが辛くて「死んでしまいたい」と泣いている人もたくさん居ると思います。

    つい5・6年前の私もそうでした。
    毎日、どうやって死のうか、しか考られなかった。


    その頃、ある人と話したことがあります。
    その人も心の病気で「死にたい」という毎日のなか、
    辛い日々を送っていた事があったそうです。

    しかし、その人と私と、明らかに違う部分がありました。

    例えば誰かが「死にたい」というメッセージを発したとき、
    その人は死にたい気持ちが痛いほど分かるから、自分は「死ぬな」とは言わない、というのです。
    そんなに死にたいのなら、死んだっていいんじゃないか、と言うのです。
    私は死にたい気持ちは痛いほど分かるけど、やっぱり「死なないで」と言う建前です。

    もしかしたら、私は偽善的なのか、と悩んだりしました。
    でも、やっぱり目の前で、または遠くで「死にたい」と訴える人に「死んでいいよ」とは言えないのです。

    私も「生きろ」という兄に歯向かって、
    「こんなに辛いのに、生きろというのか!」と泣いて困らせたことが沢山ありましたから、
    「生きてくれ」「死なないで」という言葉の無意味さ、というか、
    まったくそんな言葉は、届かないのも知っています。

    身内の言葉でもこんななんだから、アカの他人の
    しかも、こんなブログとかいうネットの世界で「死なないで」というメッセージは、
    何も意味のない、無駄な言葉にしか思えないです。

    それを知ってても、私は、このブログへ来てくれた、少しだけでも縁のあった「誰か」に向けて
    「死なないで」「生きていて」と書いています。

    裁判などで、二次被害に遭った被害者の方へも、その無意味な言葉を何度も書きました。

    本当の絶望の中にいる人には、届かない言葉だと知っています。
    それでも、私が、だからといって「死にたいなら死んだっていいよ」と言われたら、
    やっぱり悲しかっただろうな、と思うのです。

    理解した上での「死んでいいよ」は、もう後がないというか、後に引けない、引き金になりそうだからです。
    死ぬことで、結果的にその人が苦しみから解放されたとしても、本当に解放されたと言えるのか。

    分からない。
    今でも、よく分かりません。

    私には、その人が絶望のまま、死んでしまうという事実が辛すぎる。
    ある意味、そのまま絶望が永久に続いてしまうんじゃないか、とさえ思えてくるのです。

    絶望のなかに居るとき「死なないで」という言葉は、心に届かない。
    けれど、絶望の中での「死んだっていいよ」という言葉は、意外とダイレクトに心に入ってくる気がする。

    届かなくて無意味かも知れないけど、他人に最後の背中を押す権利はないと思っています。
    そして、私は偽善とか無責任とか、きれい事とか、分かってて言っています。

    世の中には、私とは逆に「そうハッキリ言ってくれたほうが楽になる」と
    感じる方も居られるでしょうから、どっちが正解か、とかじゃない。

    私がここで「死なないで」と書いているのは、こういう気持ち、ということです。



    *警告*_暴言注意_

    あと、冒頭に書いたアダルト目的の連中には、本当にヘドが出ます。
    生きるか死ぬかの中で苦しむ被害者がこの世には沢山いるというのに、
    性犯罪をオカズにしてる連中なんだよな。
    検索ワードで、よくこんなこと思い付くな、って程、
    下衆なワードをたまに見かける。言葉の単語だけでゲロが吐けるレベル。

    この世にクズって部類の人間がいるとすれば、こういう連中なんだろな。

    汚い言葉を使ってごめんなさい。

    叔父さんの夢

    今年、大好きな叔父さん二人が亡くなって、
    毎日のように叔父さんを思い出さない日はありません。

    母方の叔父も、父方の叔父も、夢で何度か再会はしているんだけど、
    二人の叔父の夢で共通してる部分が多いのは何でかな。


    母方の叔父の夢。

    叔父と私たち親戚が一緒に散歩しているときの会話。

    叔父「頭が痛くてしょうがないんだよなぁ」
    私「叔父さん、死んじゃったんだよ」と言うと、
    「そうっか。俺、死んだのか」
    私「でも、みんなで飲みに行こうよ!」
    叔父「死んじゃっても、飲んでいいよな」

    叔父さんは脳内出血で亡くなっていて、手術した跡がとても痛そうだったのです。


    父方の叔父さんの夢は、今朝です。

    叔父さんが布団で寝ている傍に、私が居ます。
    ふと叔父さんを見ると、大きなアクビをして、両手を動かしながら伸びをしていました。

    私は「ハッ」として見入っています。
    思わず「叔父さん、生きてたの!」と声をかけました。
    すると、叔父さんは爽やかな表情をして、
    「かた焼きそばが食べたいなぁ。みぃ、材料あるだろ?」と訊くのです。

    私は冷蔵庫の中にある材料を急いで思い浮かべて「うん!出来るよ」と答えます。
    叔父は続けて「あんかけの具、白菜とニンジンと豚肉少しだけあっただろ?」
    私「玉ねぎも!」叔父「みっこは、いつも玉ねぎも入れるの?」私「うん、入れるよ」

    と、こんな風に普段の叔父さんと話してる感じなのです。

    そこへ父も部屋に入ってきて、私は今あったことを父に説明します。
    「お父さん!叔父さん生きてたよ!
     アクビして伸びをして、かた焼きそばが食べたいんだって!」と興奮して話しました。

    叔父さんと会えて嬉しい。
    近いうちに、あんかけ焼きそば作って、お供えするからね。

    母方の叔父には、ビールだね。


    そういえば、母方の叔母さんの子(私の従弟S君)は、
    重度の小児麻痺で14歳で亡くなったのですが、
    S君が夢で言ったそうです。
    直接、叔母にではなく、叔母の知人に夢の中で・・・・・。

    「ぼく、お肉の入ったうどんが食べたい」

    S君は、実際には、視覚・聴覚障害があり、話すことも出来なかったのですが。
    その人は、その伝言を叔母に伝えたんだけど、ビックリ。

    お肉入りのうどんは、S君が大好きだったものだからです。
    お肉入りのうどんを作ると、も~うニコニコ顔でパクパク食べていたそう。

    もちろん、知人のその人も知らなかったことです。
    知人のその方、、霊感が強くて色々なものが見えるとか言ってた・・・。
    他の人の伝言も、夢に出てくるらしいですよ。

    早速、叔母はS君のために、うどんを作ってお供えしたそうです。
    しかし、お肉抜き^^;
    お肉入りが食べたいと、具体的に希望してたのに、叔母さんったら・・・w
    そういう細かいことは気にしない叔母さんが大好きw



    プロフィール

    みぃ

    Author:みぃ
    ~またプロフィール更新しました~

    境界性人格障害・レイプによるPTSDの患者でした。


    08年、社会復帰したので、本格的にレイプと闘う気持ちになりました。
    レイプ被害の現実などを、自分の一例としてたまに書いてます。
    何か私にお話がありましたら↓(メルアド変わりました)
    chibinet77(☆)yahoo.co.jp (☆)を@に変えてメールください。

    QRコード

    QR

    月別アーカイブ

    ブログ内検索

    ブロとも申請フォーム

    FC2ブログジャンキー

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。