FC2ブログ

    スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    起きてすぐ泣く

    この前の土曜の朝、むかし家族で住んでいたマンションの夢を見た。


    その頃、中学生だった私は、母と日曜にどこかへ出掛ける約束をしていたのに、
    当日になって、母に仕事が入ってしまい留守番になってしまった。

    私は逆上し、怒鳴りつけ、泣き喚き、マンションの7階から、
    下の道路を歩く母に
    「おかぁのバカー!!」と叫んだ。

    また、仕事に出掛ける母や父を、たまにマンションの7階のベランダからずっと見送っていたりしていた。

    そんな感じで、出掛ける父を7階から見送っている夢を見た。


    目が覚め、ぼーっと、あの頃のことを思い出していた。
    「おかぁと、一緒に居たかったんだよなぁ」

    おかぁは、私が中学生になっても「お母さん、お母さん」と離れたがらないのを心配していた。
    そうだよ。いつも母は家にいなかったから、少しでも傍にひっついて居たかったんだ。

    けれど、中学を卒業して自分だけで美術学校の願書をもらって来たのを
    母はびっくりしたんだって。
    「みぃが一人で願書もらってくるとは思わなかったよ」と嬉しそうに言っていた。

    願書ぐらい、みんな一人で行ってるのにねぇ。
    母はよっぽど私がひとりじゃ何にも出来ないと思っていたんだろうな。

    でも、母がいうほど、甘えさせてもらった感じはない。
    足りなかったから、もっともっと傍に居たかったのに。


    それで当時のことを思い出してるうちに、
    こんなにも母を慕って、母と一緒に居たがっている私を、
    母はよく置いて出ていけたなぁ。
    私だったら、そういう子ども置いて行けないよなぁ。
    どんなに悲しがるか、寂しがるか、想像するだけで無理だなぁと思ったら、急に涙が溢れてきて、
    息が出来なくて苦しくなるくらい泣いてしまった。


    母の頼みでバイトをしてたとき、母と私は他人というフリを強要された。
    離婚後、母が起こしたその会社は、母と、母の男と私と、親子だと知らない男性A氏の4人で始まった。

    母の会社で私は給料も貰えず、生活できないと腹を立てていたんだけど、
    A氏というのは本当に、嫌なやつで大嫌いだった。
    (母の葬式のとき、このA氏が来て親戚の女の子に酔っ払って言い寄ってきたほどのカス男)
    ある日、私にひどい嫌味を言ったことがあり、爆発した私は、秘密を暴露してしまい、
    泣きながら会社を飛び出した。母が追いかけて来ていて、駅の改札で「みぃ~」と苦笑いしていた。
    しかし、私はそのまま振り切り、電車で帰ってしまった。

    そのときの母の顔は、今でも覚えている。
    17歳だった私の気持ちは「バレてざまーみろ」とも思ったけど
    本当に悲しかった。

    この2つを思い出して、泣いてしまったのだ。

    母のことで泣くなんて、もう何年振りだろう。
    いろいろあったけど、自分のなかでは、もう解決したことだし、
    母が夢に出てきても、家族で一緒に旅行してたり、買い物してたり、ごく普通なのに。

    ずっと以前、院長が「みぃさんは怒りを押し殺して来たから、出して行きましょう」と言ってたんだけど、
    「は?怒りって?私なんにも怒っていないけど・・・。院長は何を言ってるの?」と
    まともに受け取れなかった時期が長く続いた。
    自分に怒りが溜まってたなんて、まったく自覚なかったし。
    (この話って、前にも書いた気がするw同じこと何回も話すようになってきたのかしらん)

    「いい子で居たから」とか院長が言っても「あたし、いい子じゃなくって悪い子でしたよw」なんて返してた。
    実際、家で暴れたりもしてたし、学校も行かなかったし、いい子を演じてたなんて信じられなかった。
    きっと、こうした怒りの感情とかは、すべて自分自身に向けられていて、
    だから悪化していった過程で、リストカットとかしてたんだろうなぁ。


    今でもこういう解決したはずの感情が、たまにむし返されて泣いたりするのは、
    まぁ、しょうがないの。にんげんだものw


    私が大泣きしてたら、ニャンたちが「何事!?」って顔で見てたので、
    すぐに起きて、いつもと変わりなく元気になったけどね。

    立ち直りはホント、早くなりました!
    スポンサーサイト

    親と子、そして大人の理解者

    今、泣きそう・・・。

    だって、「hey Jude」を聴きながら

    J・レノンと最初の妻シンシアとの子、ジュリアン・レノンのこと考えたから。

    ジョンがオノ・ヨーコと出会って、シンシアと離婚したんだけど、

    ジョンは、そのことをずっと背負っていたんだろうと思う。

    後に「Mother」を作ったことでも伝わってきます。


    唐突ですが、「Hey Jude」

    これは、ポール・マッカートニーが、

    ジョンの息子ジュリアンに向けて作った歌だそうですね。

    ポールは幼いジュリアンとよく遊んでやっていたらしいです。

    ジョン自身は、息子とどう遊んでいいのか分からないと洩らしていたそうです。

    ジョンにしてみれば、自分が父親に遊んでもらった記憶がないからでしょうね。








    この映像から見てとれるポールの表情とジョンの表情の違い。。

    あたしが見ながら涙が出そうになったのは、この二人の気持ちを想像しちゃったからです。

    ポールは、ものすごく真正面を見てジュリアンに語りかけている。

    心からジュリアンの寂しさに共感して、

    ”大丈夫だよ、こんなに君を見守っている人は居るんだよ”と言っているようです。

    最後にファンたちと大合唱する演出も、こんなポールの気遣いが感じられます。

    そして、一方のジョンは、何とも言えないような表情をしています。

    本来なら、父親である自分自身が息子を見守り、傍に居てやるはずが、

    友達のポールに励ましてもらっているというバツの悪い感じ。

    息子に寂しい想いをさせているのは自分自身であるっていう矛盾。


    この時のジョンは、実はあたしの父親とそっくりの表情をしているんですね。

    何となく、父親としての立場がないときに見せる表情なんです。

    ジョンの顔は、実際、父にほんの少し似ているんで余計にそう思えるのですけども。

    映像のなかのこの時のジョンは、

    何かどんな顔してれば良いのか分からないような表情になっているだと思う。



    ジョンは後に「Mother」のなかで、

    『こどもたちよ、僕の真似をしちゃいけないよ

     僕は歩くことすら ままならないのに

     走ろうとしたんだ   

     だから言うのさ  さよならと』


    これがジョンの息子たちに向けた、精一杯の、

    父親としての言葉だったのかも知れない。

    あの頃、ジュリアンに何も言ってやれなかった。

    父親らしいことしてやらなかった。父親として謝ることが出来なかった。

    そうジュリアンに言いたかったのかも知れないな。。


    そのジョンに代わって、ポールはジュリアンと交流を続けていたみたいです。

    詳しく調べたわけじゃないけど、ジュリアンは父親の愛の代わりに、

    ポールおじさんを慕っていたのが伝わってきます。

    ジュリアンは、ポールの面影を通して、父の愛に触れていたんじゃないかな、と。

    あたしも母と縁がある人と再会したとき、思わず号泣してしまったことがありました。

    まるで母と再会できたような、その人自身が母のような錯覚もありました。

    自分と他人は全く違う感性を持っていることは分かっているけど、

    「Hey jude」を観たら、そう思って泣けてきたのです。


    ジョンのMotherについては、また機会がありましたら書かせてね♪






    プロフィール

    みぃ

    Author:みぃ
    ~またプロフィール更新しました~

    境界性人格障害・レイプによるPTSDの患者でした。


    08年、社会復帰したので、本格的にレイプと闘う気持ちになりました。
    レイプ被害の現実などを、自分の一例としてたまに書いてます。
    何か私にお話がありましたら↓(メルアド変わりました)
    chibinet77(☆)yahoo.co.jp (☆)を@に変えてメールください。

    QRコード

    QR

    月別アーカイブ

    ブログ内検索

    ブロとも申請フォーム

    FC2ブログジャンキー

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。