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    8週齢規制・・・お母さんと離さないで

    12月7日追記*
    なんと!『ジュルのしっぽ』のhana*さんが、終了した筈のブログにて、
    12月12日締め切り(18時15分必着)のパブコメ意見書を公開して下さいました。
    hana*さんと同意見であれば、そのままコピーして提出しても構わないそうです。
    時間がないので、熟読しても30分。そのあと即提出すれば間に合います。
    今回も本当に本当に、ありがとうございます!
    ブログ記事には、その他、8週齢規制に関する解説や、前回のパブコメ結果の解説も。
    また、アメージング・グレイスの歌と虐げられてきたどうぶつについての記述には、泣いてしまいました。
    ジュルちゃん、hana*さん、また私たちにいろいろ教えてくれて有難うございます。





    文字色11月26日追記;
    バナー製作者である
    【そうにゃんだ】さんより『第1部・動物愛護法交流集会@大阪(THEペット法塾主催 2012年11月18日)
    更新記事をリンクさせて頂きます。

    8月に愛護法で改正された内容についての解説記事
    『動物愛護法改正案が発表されました』
    で、分かりやすく書いて下さっています。
    私もまだ完全に把握していない状態なので、勉強しなくては。





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    このバナーを製作されたのは
    ブログ『そうなんだ!』【大拡散!!】8週齢規制みんなで一つになろうキャンペーン!中の、にゃんとらさんです。



    ジュルのしっぽのhana*さんが発信している8週齢規制を実現させるために、
    8週齢未満の仔猫・仔犬をおかあさんから離して、販売してはいけないんだよ!ということを
    みんなの常識にしちゃいましょう♪

    詳しく知りたいかたは、ジュルのしっぽへレッツゴー☆彡
    (ちなみに今、hana*さんが動き出しているのは、前回の動物愛護法改正のパブコメにも盛り込まれた『動物実験』についてのメール・アクションです。


    *このバナーは、常時トップに来るよう設定しています*

    私は、そっちには行かない④私は間違っていたが、間違っていなかった。

    小松原織香さんのブログ。
    こちらを読んで、なにか霧の中から抜け出したような気持ちです。

    去年、私の中で色んな変化がありました。
    フェミニズムへの誤解・偏見。自称ミサンドリー。
    そして年を越してトランス排除を目の当たりにし、
    自分自身のミサンドリーを捨てるに至って、
    トランスジェンダーと連帯するフェミニストでありたいと、ここに書きました。

    先のリンクした小松原さんが書いていたこと。
    それこそ、私が辿ったフェミニズムへの道でした。

    私はここで男性の性暴力被害者を葬るような、
    置き去りにするような支援は間違っていると書き続けてきました。
    性被害に性差は関係ない。
    私は自分が社会から孤立し葬られた経験上、誰も置き去りにしないことが
    何よりの信条だったのです。

    その上で、フェミニズムは女性の権利しか言わないようだ、
    それなら私はフェミニズムとは相容れないと思ってきました。

    しかし、今回のトランス排除をいうフェミニスト達が言っていることは
    まさに私が拒絶したフェミニズムそのものでした。
    そしてトランス差別に反対するフェミニスト達は、私が求めていたフェミニズムそのものでした。

    国内外のフェミニズムの歴史のなかで、属性によって排除が行われたことは何度もあったそうです。
    マジョティとマイノリティの力関係は、社会の中で様々な形態で存在しています。
    数が多い少ないの問題ではなく、差別構造の問題だということを無視するのは卑怯です。
    男性の性被害者が女性に比べ少ないから、男性の被害者は救われなくてもいいのか?
    そもそも男性は属性的マジョリティなのだから救われなくていいのか?
    それに「イエス」と答えてしまえるフェミニストの性被害者は、とんでもないですよ。
    命の軽視とも言えます。

    性暴力被害者は仏になる必要などありません。
    でも、あらゆる理由をつけて差別を容認・肯定していいのですか?
    「シス女性の性暴力被害者にだけ」差別しても良い特権があるのですか?
    それがフェミニズムなんですか?


    性暴力被害者が踏みつける

    「私たちは、このような差別を受けている。差別をやめろ」
    「私たちには、このような理由があるのに差別と言われる。差別と言うな」
    これらはどちらも同じ「私たち」が言ってることです。

    今回のフェミニスト(性暴力サバイバー)によるトランス排除・差別は今現在も続いていて、
    性暴力サバイバーのひとりとして、この差別について一体どうしたらいいのか考え続けています。
    正直、昨年の7月以降、この件以外でもネットのフェミニスト(性暴力サバイバー)に対して、距離感を覚えていました。
    共感出来ることが段々少なくなり、ちょっと私とは違う思考だなと思うつぶやきが多かった。
    自分がおかしいのかと自問自答していました。

    そんな感じで眺めていたサバイバーたちが、この排除を言い始めた。

    「不安や恐怖を訴えることが何故『差別だ!』になるのか」
    「差別と言われ、私たちはまた後回しにされる」

    私の知る範囲の認識として、彼女らの言っていることの大まかな流れ。
    ○昨年、お茶ノ水女子大に、トランス女性も入学できることになったと報道があった。
    ○その報道を受けて、ネット内でフェミニスト(主に性暴力サバイバー)の中から不安の声があがる。
     「トランス女性を装った男性が女子トイレに侵入して性犯罪に遭うのではないか」
     「トランス女性と、女装して偽装した犯罪目的の男性を、どう見分けるのか」
    ○性自認によって女性と認められるなら、偽って「私は女性と性自認している」と言えば
    犯罪目的の男性が入学出来てしまう(百田氏のツイート等も、それを煽るものであった)。
    ○お茶の水女子大でのトイレの話から、一般公共施設のトイレや公衆浴場に飛び火する。
    ○どんどん話の中心は女子大よりも一般公共施設、トイレ浴場がメインになる。

    この、一般公共施設の話になって、更にトランスジェンダーに対する排除が加速していったように思います。
    しかし、トランス女性を受け入れてる大学は、お茶の水女子大が史上初めてという訳ではなく、
    あらゆる大学にトランスジェンダーは過去も現在も進学しているという事実です。
    もちろんLGBT含め、あらゆる属性の人々がです。
    今回、お茶の水女子大は、トランス女性がより学びやすい環境にするという表明だったと思うのです。
    実にフェミニズム的な前進ではないでしょうか。

    「トランス女性と偽装した男性加害者を見分ける方法があるのか」
    「いや、見分けるためにトランス女性にはバッジ等の目印をつけるべきだ」
    「私たちシス女性は、不安や恐怖を言うことさえ許されず差別者と言われるのか」
    「シス女性に犠牲を強いてまでトランス女性を優遇するのか」
    といった論理に正当性があるのか、
    立ち止まって考え直すことは本当に不可能なのでしょうか。

    立ち止まることなく突き進んだフェミニストたち(親フェミ男性含め)は、
    この流れから「公衆トイレや公衆浴場にトランス女性を入れるべきではない」と言っていますよね。
    それは「トランス女性を偽装した男性加害者が侵入するからだ」と。
    そしてついには、パス度に優劣をつけ、ペニス持ちトランスは云々、
    更にトランス女性は性加害予備軍などとヘイトの限りを尽くすまでに至っている。
    偽装した性犯罪加害者への憎しみと同列にトランスジェンダーへの蔑視を露にしています。

    何故か?
    私には本来の彼女彼らの差別心が露呈したのだろうと思う部分と、
    何度も書いたようにミサンドリーを煮詰めた結果にあると思っています。
    この現状のなかで、排除を言うフェミニスト(特に性暴力サバイバー)を擁護できる要素が本当にあるのでしょうか。
    前にも書きましたが、私には無差別殺人と同じように見える。

    性暴力被害者は、社会の隅っこに追いやられ、
    それでも生きて、生きられなかった仲間もいて、
    やっと声を上げているんですよね。
    性被害を訴えても信じてもらえなかったり、落ち度を言われたり、笑われたり無視されたりしましたよね。
    私はこの世界から葬られたと思って来ましたし、疎外感しかなかったです。
    皆さんはどうでしたか?今も続くトラウマや後遺症に苦しんだりしませんか?
    私はあれから何十年経っただろう?でも未だに癒えたとは到底言えません。
    常に疎外感は残ったままだし、存在を軽んじられていると思っています。
    それは私個人に対してでもあり、女性全般に対してでもあります。

    私の信念というとおこがましいですが、自戒を込めて言いたいです。

    あれほど苦しい地獄を見て、この先も強弱あれど苦しみは続くかもしれない。
    踏みにじられる経験をした私は、他の誰かを踏みにじりたくない。
    もし、自分がそんなことをしてしまったら、自分の弱さと向き合うべきだ。
    恥じて、もう一度立ち止まって考えるべきだ。
    差別に加担はしない。暴力に加担はしない。人の涙を嘲笑うことはしない。
    人間として一番恥じるべきことだけはしたくないし、しないように努力する。

    みんなで生きよう。連帯しよう。
    私は、フェミニズムとは、そういうものだと信じています。
    どんな属性であれ、差別を肯定することは絶対悪という共通認識ではなかったのか?
    時によって、人によって、場合によっては「差別は必要悪である」ということなのか?






    憎悪の行き着く先にある尊厳とは

    自分の性暴力被害・性差別を訴えたいとき、
    自分がそこから救われたいとき、回復したいとき、
    誰かを貶めて踏み台にして立ち上がろうとする人は居ます。
    実際、私は2人ほど、現実にそういう人と出会いました。

    私を貶めて自分のバランスを取ろうとする。
    本人は必死なので気付いていないと思うけど、されたほうは更にダメージが深くなるだけ。

    今回のトランス排除に加担している性暴力被害者もこれと同じ原理です。
    シス男性への憎悪が原点ですが、憎悪を煮詰め過ぎると、
    やっぱり排除と憎悪の対象が広がっていくのですね。
    事実、シス男性からトランスジェンダーへと対象が増えました。
    自分を守ろうとすればするほど、他の属性が邪魔になる。
    排除に正当性が欲しいから、色々と理由を作り出す。
    しかし、もう一線を越えているので、差別することに快感を覚えている人さえ居るでしょう。
    排除される側にとっては、これほど理不尽な暴力はない。

    もし、それで貴方たちの鬱憤が少しでも晴れたり、
    貴方たちの失った尊厳が一瞬でも回復したように思えても、
    それは醜い自尊心を得るだけです。

    気持ちなんか晴れてない、毎日泣いているんだと言うでしょうが、
    人を踏みつけておいて、踏んだ足が痛くて泣いているんですか?

    貴方たちが欲しかったものを手に入れようとしているだけでしょう?


    私は、そっちには行かない③(ミサンドリーについて)

    今、自分自身を振り返って、とても反省しています。

    去年の後半あたりから、自分をミサンドリストだと思っていた時期がありました。
    性暴力被害に遭い、この世の延々と続く女性差別に諦めと絶望でミサンドリストになったって仕方ないよね、と思ったのです。

    しかし、このトランスジェンダー差別の中、
    ミサンドリーは何か違うんじゃないかと、このミサンドリー思想に焦点をあてて、
    もっと掘り下げて考えなきゃならないと思いました。

    この一連の流れを考えたとき、これがトランス差別に大きく影響しているのではないか。
    これは、反性差別の人たちが口々に語っていることでも分かるように、
    性暴力を犯すのは「加害者」であり、性別で区切るものではないという絶対的な事実です。
    確かに圧倒的にシス男性が多いかも知れませんが、そこが最大の落とし穴なのかもしれない。

    シス男性 対 シス女性という2つだけの属性だけで考えてしまいがちになるんじゃないか。
    その構図を絶対的なものにしたい欲求があるんじゃないか。
    様々な性の属性をないものとすれば、単純化できるから。

    こうなると、トランスジェンダーはどっちに入るのか?
    トランス男性もトランス女性も「男性」という枠に入れれば、
    自分たちシス女性は「完全なるマイノリティ」という位置に居られるわけです。
    そこには「では、女性として生まれて男性になりたい(なった)男性は、女性になるんじゃないか?」という矛盾が生じる訳ですが。

    ********************************

    とにかく、私が自分を省みて思ったことは、
    憎悪というものは諸刃の剣なのかも知れないな。
    そこに至った事情はあるけれど、それで誰かを刺してしまったら、
    無差別殺人と同じなんじゃないか、と。

    自分以外の属性への排除を肯定することは、まわり回って自分への排除になる。
    これは人権の基本でもあるのに、人権云々は置いといてと来る。
    外国人が犯罪を犯したら、今度は外国人が標的になる。
    障害者が犯罪を犯したら、今度は障害者が。
    現実に今現在、マイノリティへのヘイトクライムは起こっているのですが。

    憎悪はこうして刃物みたいに鋭くなって、自分の周りを切って行く。
    憎悪は、いつか自分以外の差別に鈍感になっていく。

    私は、男性嫌悪を捨てました。
    捨てたのは今日なんですけどね。
    そうしたら、すごく気持ちが楽になりました。
    「男がなにを言う」って気持ちもなくなりました。
    勿論、ヘイトをしてくる者へは怒りを持っています。属性に関わらず。
    逆に、男性たちがトランス差別反対を表明していることも嬉しい。

    凝り固まってしまった男性嫌悪を解放するのは、自分で考え続けることだと思う。

    怒るべき相手は、ただただ「加害者」であって、
    自分以外の属性を排除することじゃない。

    けれど、実際、私は無知で無関心だったと思う。
    今回、たくさんの当事者の人たちの話を聞いて、自分が何にも知らなかった現実ばかりでした。
    本当に無知で無関心で情けないです。

    誰も差別されない社会を目指したい。
    全ての差別に反対だし、自分を省みる。
    これからも自分を省みる人間でありたいです。

    私は、そっちには行かない②

    私が知らなかっただけなんだろう。
    なんか、もっと以前からフェミニストによるトランスジェンダー差別というのがネットの中であったようですね。

    私は去年、フェミニスト開眼して、ミサンドリー宣言みたいなのをしちゃって矛盾してますが、
    これはよくなかったなぁと、今、思っています。
    シス男性に対する恐怖心・不信感というのはどうしてもあるのですが、
    これも一線を越えると、今回のように、トランス女性は元々男性だったのだからマジョリティだという暴論にまで行ってしまったり、男児も被害に遭えとか、男児を産んだ母親も加害者だとか、
    もうネトウヨ・ミソジニストと変わりないくらいのグロテスクなヘイトスピーチをするシス女性までいるのだから、
    いくらミサンドリーがシス男性加害のせいだと言っても、もうそっちにも行きたくない。

    ********************************

    私が通院してた頃、院長には何でも本心を打ち明けていました。
    そして、このブログでリンクしているエッグスさんの境界例からの回復というサイトに、
    自分自身で回復させる方法のひとつとして、
    自分の心の中の怒りを、倫理とか善悪を考えずに書き出してみる、というようなことが書かれていました。

    それまでの私は、自分の中に怒りがあることすら気付いていなく、
    何にも怒っていないよ?と院長にも言ったくらい、自分自身の根っこにあるものに蓋をしていたのです。

    それで、自分には何の怒りがあるんだろう?と考えるようになり、
    母親に捨てられたこと、利用されたこと、裏切られたこと、もっと愛してほしかったこと等、
    子どもの頃から持っていた自分の本当の気持ちに向き合うようになったのです。

    そして、強姦されたこと、加害者への怒り、恋人への失望と怒り、私を放置した社会への怒り、
    まあ、いろんな怒りが出るわ出るわ。
    私は怒りだけの人生だったのかと思うくらい、怒る人間になりましたとさ。

    エッグスさんが善悪を考えずに怒りを書き出す方法を教えてくれたんだけど、
    それはあくまでも非公開の場、自分だけしか見ない前提だと理解していましたし、
    エッグスさんもそのように言ってたと思います。

    つまり、その作業は公にするべきではないのです。

    PTSDになると、勿論人にもよりますが感情の起伏が激しくなったり、攻撃的になったり、物事を歪んで捉えてしまったり、
    まあ厄介な精神状態になるので、なかなか自分をコントロールが出来なかったりするのです。

    被害者の回復状態や過程も人それぞれですし、
    元々の性格も違うから、出てくる感情も思考も色々です。

    そして、今回のトランス排除は、回復のための作業どころか、
    自分のためなら他者を踏み付けても構わないという境地にまで達してしまいました。
    フェミニスト自称してるから、やいのやいの言われるんだったら、じゃあフェミ捨てちゃえばいい。
    シス女性の性暴力被害者が一番救われるべきだから、私が一番救われるべきだから仕方ないじゃないかと。

    詭弁の羅列に賛同者。いい加減にしろ。
    「トランス女性側について生得的女性(特に性暴力サバイバー)の人権踏みにじって差別して正義面」
    こんなのに賛同してるんだよ。。。

    もう、どこから指摘していけばいいのでしょうか。
    たくさんの人が噛み砕いて指摘しても、全く通じない。
    トランス女性というところを○○に変えてみて、と言っても通じない。
    こういうことを言うことが「人権の放棄」だと分からないんだもの。

    今回、トランスジェンダー排除に関わっている性暴力被害者に、
    私は正直、打ちのめされています。
    シス男性への恐怖心・怒りは解るけれど、超えてはいけない一線を越え、
    開き直って加害している様を見せ付けれて、本当にショックを受けています。

    トランスジェンダー当事者の人たちに、申し訳ない気持ちでいっぱいで、
    寝ても覚めても、どうしたら良いのだろうかと自分の非力を思い知っています。

    もう、あの人たちは省みないでしょう。
    このまま突き進んで行って、で、また時間が経って、トランスジェンダーの人たちを傷つけたことも有耶無耶にしていくんでしょう。
    止められないのが本当に悔しい。

    何を言ってるんだ、貴方たちは。
    自分が何を言ってるのか、意味を分かって言ってるの?
    そればかり思う。
    シス女性の被害当事者に、こんなことを言わなければならない日が来るなんて、
    本当に想像もしてなかった。自分が甘かった。

    性暴力被害者に寄り添いたいと思う優しさは大事ですが、
    これを「気持ち分かるし」で許してしまう社会でいいのでしょうか。

    こんなもの、私は望んでませんよ。

    私は、そっちには行かない

    去年、フェミニズム開眼し、ミサンドリー宣言しちゃった私なんですが、
    私はトランスジェンダーと連帯するフェミニストになりたいと表明します。

    去年の御茶ノ水女子大のトランス女性受け入れの件から、今現在にかけて、
    (いや、私が知らなかっただけで、今までも色々あったようですが)
    ネット内のフェミニストたちによる、トランス女性への人権侵害と排除が広がっていく様を目の当たりにしています。
    はじめは、トランス女性を装ったシス男性が、犯罪目的でトイレなどに入り込むことへの不安をつぶやいていたのが、
    いつの間にかトランスジェンダーへの排除に変貌していったのです。


    私はシス女性として、マジョリティ側にいることを自覚しました。

    私は以前、犯罪被害者となったことで、加害者にも成り得るということをここに書いたことがあります。
    その時は漠然とそう思ったんだけど、今、このマイノリティ排除がまかり通ってしまう現実を見て、こういうことだったんだと改めて思っています。
    加害者に成り得るというのは、犯罪に限ったことではなくて、
    普通の日常の中でどんな時も起こりうることで、
    ファシズムに加担する、差別に加担する、こういうことでもある。
    これらは人の命を奪うくらい、暴力的な加害です。

    性犯罪に遭った私は、ミサンドリーになるほど男が怖いし嫌いです。
    シス男性は恐怖の対象であり、老後、ひとりぼっちになったら、
    どうやって生きて行こう?と真剣に悩んでいます。
    女性の一人暮らし、年を取っても女性であるだけで色んな犯罪の被害者に成り得るのが恐怖なのです。
    だから、シス男性を怖がる気持ちは解る。
    でも、トランスジェンダー排除には全く共感出来ません。
    解りたくもない。
    ある人はシス女性を表す言葉として「ネイティブ女性」とも言っていた。
    ひどいよね。トランスジェンダーへの加害には際限なし?
    この暴力が横行してる現状に、寝ても覚めても、そのことばかり頭の中でグルグルしています。

    どどどっと、ネットのフェミニストたちがマイノリティ排除のほうへ行ってしまった。
    あの人も?この人まで?と、ちょっと人間不信に陥るほどです。
    ここには書けないような、暴力的でグロテスクな言い方・表現に賛同する人が多数。
    差別とは暴力なんだと心底思う。
    トランスジェンダーの人たちを傷付けて、一体なにがフェミニズムかと言いたい。

    シス女性だけのためのフェミニズム?
    トランスジェンダーは専用のトイレ・浴場に行け?
    そんなの一ミリも共感できません。
    全く賛同できません。

    今までフェミニストたちは、
    殆どの性暴力加害がシス男性によるもので、
    本来、シス男性たちが自分たちの問題だと認識し解決するべきだと訴えて来たのだから、
    シス女性によるトランスジェンダー差別は、トランスジェンダーが解決すべき、ではなく、
    私たちシス女性がなくさなければならないと思い、ここで表明したわけです。

    何なんだろう。
    日本が右傾化してると海外からもよく言われていますが、
    あっちもこっちも排除の論理へ簡単に流れ過ぎなんじゃないか。
    自分たちの権利を脅かすと思い込んで、よりマイノリティを踏みつけることに躊躇しなくなっている。
    一線を越えてしまっている。

    自分が非力すぎて情けない。どうやったら良いのかどうしたら良いのか、わからない。。



    急に思い出したんだけど(フラッシュバックにご注意ください)

    よく、ドラマや映画とかで性暴力被害者が、
    事件の直後、或いは何かのきっかけで、
    取り乱して泣き叫ぶようなシーンを観ることがあると思うんですけど、
    ずっと、なんか違和感を感じていました。

    こんなふうに感情が爆発するのかなぁ?
    とか。

    パニック状態になっているのを表現するために、観ている人に伝わりやすいのは分かるんだけど。
    自分以外の人がどうなのか、さっぱり判らないので、
    私に限ったことなのかも知れませんが。


    私の場合、感情が爆発するほどパニック状態になったのは、
    思い出す限り2回ありました。

    強姦と直接的ではない場面でした。
    初めての発作は、24歳頃だと思います。
    事件から3年後です。

    その頃、非常に不安定になっていて、初めて継母に電話で悪たれを言いました。
    私がボロアパートに住み、こんな生活になっているのに、
    父たちの家にはクーラーもあり、貧乏もしていない。
    そういう気持ちで嫌味を言いました。
    けっこう、しつこく。

    その翌日だったかに、父から夜、私のせいで継母に責められていると電話がきて、
    「お前を取るか、継母を取るかって言われた。お前のせいでお父さんの人生めちゃくちゃだ」と怒鳴られた瞬間、
    私は「全部わたしがいけないんだー!あああああああ!」と叫んで、窓から飛び降りようとしました。
    すぐそばに兄がいたので、私の体を押さえて事なきを得ました。
    といっても、アパートの2階なので、飛び降りても大したことないと思いますが。

    それが最初の発作でした。

    事件から半年後に、父から「首くくって死んじまえ」と言われたことや、
    両親の離婚も私のせいだと言われて来たことが根底にあったせいだと思います。

    2回目は、私が27歳か28歳頃だと思います。
    昼間アパートに1人でいるとき、突然、刑事が来ました。
    トントンとノックがあり、ドアを閉めたまま「どなたですか?」と訊くと、
    「警察のものです」と言いました。
    その瞬間に、なぜか急に発作のようなパニックが起こりました。
    体が震えてきて「キャー!キャー!」とか「怖い!怖い!」と叫びました。
    外にいる刑事さんのほうが慌ててしまったようで、
    「警察手帳を見せますから、この窓開けてください。大丈夫ですか?」と言うんだけど、
    それが余計に怖くなって、怖い怖いとなりました。
    数分ぐらいの話ですが、少し治まってきたので、玄関のドアの横にある小さい窓を少し開けると、本当に警察手帳を見せてくれ、
    「本当でしょう?ちょっとお聞きしたいことがあるんです」と、家に来た理由を説明されました。
    内容は、このアパートに不審な人が住んでいないかということで、私には全く関係ない話でした。

    このように、私に限った場合ですが、
    映画のようなフラッシュバックで泣き叫ぶというのは皆無です。
    もしかしたらそういう人も居るんだろうけど。

    私の場合は、事件と直接結びつくようなことでも、
    映画のようなパニックにはならず、ただただ、無表情だったり寝込んでいるだけだったり。

    無料弁護士相談の時に、やり取りで怒りが込み上げて声を荒げたり、
    病院で院長に怒りをぶつけたりはしましたけどね。

    以前、監督がリアルを追及したというレイプを扱った映画があって、
    結局それを私は観なかったんだけど、やっぱりドラマ的な泣き叫ぶシーンを予告編で観て、
    なんだか興ざめしちゃったんですよね。
    さっきも書きましたが、実際にそうなる人も居るかも知れないとは思うんですけどね。

    おしどりマコさんを応援!

    2011年3月11日から今年で7年経ちました。

    ここ最近では、浪江町市長選挙に「希望の牧場」の吉沢さんが立候補し、惜しくも落選してしまいましたが、
    原発事故以来、町のどこかでひっそりと息をしている脱被曝の1人として、
    おしどりマコさん(ケンパルさんもね!)を心から応援したい!

    11年から各地を取材し、綿密なデータを取り、東電会見に一番通い詰めている人ですからね。
    おしどりマコリーヌさん
    マコさんに対する誹謗中傷、ほんと止めて欲しいね!
    「趣味程度の取材」とか言ってるジャーナリスト、恥ずかしいね。マウンティングだよねー。
    マコさんは福島に何度も何度も、今でも行ってて、自主避難した人たちと繋がってて、
    私も含めた孤独な闘いをしてきた人と同じ気持ちを共有しているんですよ。


    だってさ、原発事故以来、手探りでどんだけ情報収集したと思ってんの!
    ネットがあって良かったー。ほんと。ネット様様!
    周りに誰も居ないんだよ。放射性物質を怖がる人が!
    どして?どしてなの?唯一の被爆国だってのに。。。
    なんのためにはだしのゲンを読んだの?

    ま、そんなことを今でも思います。

    振り返るとですね・・・・。

    本当に放射性物質のことなんか何にも知らないし、
    シーベルトもベクレルも聞いたことなかったし意味が分かりませんよ!
    台風のヘクトパスカルぐらいしか聞いたことなかったよ。
    今でも私の知識なんて大したことなくて、難しい話はチンプンカンプンですけど、
    それでも最低限、今日食べるアレは?水は?あの日食べたアレは大丈夫なの?って
    そりゃもう必死でした。

    3月、東京の水にヨウ素が含まれているから、乳幼児のいるお宅にペットボトルの水が配られました。
    (この事実だけでも、風評じゃないじゃんね)
    とりあえず、我が家はニャンコにはスープパウチを主に水代わりにあげていました。
    私たちは水道水を飲んでいました。
    これが所謂、初期被曝なんですよ。なんの防護も出来なかった。
    (福島の人たちは、この状況下で避難所にいたり水を求めて並んでいたりしていたのです)

    被曝を回避するために、とりあえず出来ることから始めたよ。
    玄関に靴は入れない。外で履き替える。だって、玄関にニャンコがゴロンしますからね。
    家の中に極力、放射性物質を入れない努力をしました。当然今も継続中。
    洗濯物も外には干さない。床は掃除機ではなく雑巾で拭く。
    所謂、危険厨ですよ。
    この情報は、今や極右として有名な武田邦彦さんのサイトから得たんですから、
    時代は移り変わるもんですねえ。
    因みに、当時、武田さんは庭の除草や壁の除染を親がやりなさい、って提言してましたね。
    それを真に受けたお母さん方が高圧洗浄機などで除染して内部被曝しちゃったんじゃないかって話もありました。
    私はそれはヤバいんじゃないかと思っていましたけど、庭の除草はやっちゃいました。
    今から考えると、やらなきゃ良かったかもですね。。。
    まあ、造園の仕事で被曝しましたが。

    話戻り。。。
    兄にも協力してもらわねばならず、日夜、説得したり説明したりしました。
    でも、長いこと理解されませんでした。
    頭おかしいとまで言われました。父にもね。
    味方が居なくて、泣きました。
    危険を回避したいだけなのに、何故、頭がおかしいと言うのだろう。
    何故、私が悪いのだろうって、本当に孤独な闘いでした。

    でもね、その内、兄の同業者さんで毎日鼻血がドバドバ出るんだって本人から聞いたり、
    私もですが父にも低線量被曝と思われるような皮膚の痒み(湿疹みたいなの)なんか出だした12年以降、
    徐々に徐々に「やっぱり気をつけたほうが良いのかも?」って思ってくれるようになったんです。
    父は気にはしてるけど、もう年だから、という諦めムードですが。

    兄も今では産地を確認してから買い物するようになったし(たまに見ないで買っちゃうけど)、
    水を買うことにも「当たり前」という感覚になったようです。

    精神的に一番辛かったのは、やっぱり11年から12年だったかなあぁ。
    ほんとに1人で情報を集めて、確認して、実践することが文字通り手探り状態でした。
    少しでも安全な食材を買うためには、どこで買うのか、からですからね。
    地元のスーパーじゃ関東のものしか売ってない。
    ネットで検索するうちに、楽天にいくつも西日本のお店があることを知ったわけです。
    お米、野菜、お水、身に着ける下着や衣類、布団類。
    にゃんこのお砂、ご飯、ベッドもね。
    ありとあらゆる物を西のお店から買うようになったのです。

    7年経って、今現在も危険厨です。
    それでも緩くなってしまったなぁと思うときもあります。
    外食などでは、被曝覚悟で食べることもあります。法事やお葬式なんかは選べないですからね。
    子宮筋腫の手術で入院したときも、東京の病院だったので被曝覚悟で病院食を食べました。
    でも、買い物の仕方は変わっていません。西のお店から買っています。

    こういう、これからも続く長い闘いの中で共有したものって、
    並大抵じゃないんですよ。
    超少数派なのは、そんなのは始めっからそうだったし、これからもそうかも知んない。

    事故当時の政権だった民主党。
    そして立憲からの立候補予定というのは、正直本当にビックリしたけど、
    立憲が原発事故を今後どう捉えていくつもりなのか、マコさんを比例で出すのは何故か。
    それはとても勇気がいることだと思ったので、その辺の覚悟みたいなものも見てみたいのです。
    だから、マコさんをどうしても通したい!








    ミサンドリーが悪いかよ!①

    先ず、私の過去記事の中で、フェミニズムに関して無知な発言をしてきたことに
    今更ながら気付いた。
    え?今?遅すぎだろう、と自分でも思うけど。

    私が子どもの頃から感じていた違和感と怒りこそ、
    フェミニズムそのものであったのだと、ここ数ヶ月で思い知った。

    それまでは、まるで男性の性被害者が居ないかのようなこの社会が嫌でたまらず
    (公的機関や相談窓口などが女性専用になっていること等)、
    自分も社会から葬られた経験から、男性被害者を葬ることは許せなかった。
    正直、フェミニズムは男性被害者を葬っているんじゃないか、と思っていた。

    でも、やっと私は理解した。

    男性被害者を葬っているのは男社会であって、フェミニズムではないこと。
    いつまでもいつまでも男社会の加害性に目を逸らし続けているのは男だということ。
    男性被害者の存在を口にするのは、女性専用車両など女を叩くときであり、
    自分たちの加害性から話を逸らすとき。
    そういう時だけ男性被害者を利用する。

    そういう場面を色々見てくると、この鈍い私でも、
    フェミニズムが長い間虐げられてきた理由とか気付いちゃう。

    やっぱね、フェミニズム・フェミニストをまるで化け物のように見せてきた男社会ね。
    これ刷り込みね。
    テレビでも日常でも文学でも映画でもドラマでも、
    フェミニストを片っ端から潰してきた男たち。

    私のように女性という属性ですら、フェミニズムへの偏見があり、
    同じ方向を向いていたにも関わらず、フェミニズムと接点を持ちたくないかのように思わせる。
    まんまと男たちの罠にかかってた訳です。
    自分でも呆れるけど、一体いつの時代だと。

    ちょっと話が逸れるけど、昔むかし、外国で魔女狩りがありました。
    魔女だと言われた女性の一例。
    夫に意見しただけで、ちょっと反発しただけで魔女だと言われたって。
    これ聞いて、私はこの時代から変わってないんだなぁと思ってしまった。
    つくづく男が嫌になったよ。

    そういうことで私はミサンドリーになりました。
    このフェミニズムとミサンドリーについて、今後も書いていこうと思います。
    頭使うので、少しづつ書きます。














    プロフィール

    みぃ

    Author:みぃ
    2019年2月プロフィール更新しました。

    ジェンダーフリーが目標。
    男装?女装?男?女?ちがうちがう
    誰もが着たい服を着て、好きな服を着る。
    男の格好とか女の格好とかナシナシ。

    誰も咎めない、哂いものにしない社会を目指したい。


    境界性人格障害・レイプによるPTSDの患者でした。


    08年、社会復帰したので、本格的にレイプと闘う気持ちになりました。
    レイプ被害の現実などを、自分の一例としてたまに書いてます。
    何か私にお話がありましたら↓(メルアド変わりました)
    chibinet77(☆)yahoo.co.jp (☆)を@に変えてメールください。

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