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    8週齢規制・・・お母さんと離さないで

    12月7日追記*
    なんと!『ジュルのしっぽ』のhana*さんが、終了した筈のブログにて、
    12月12日締め切り(18時15分必着)のパブコメ意見書を公開して下さいました。
    hana*さんと同意見であれば、そのままコピーして提出しても構わないそうです。
    時間がないので、熟読しても30分。そのあと即提出すれば間に合います。
    今回も本当に本当に、ありがとうございます!
    ブログ記事には、その他、8週齢規制に関する解説や、前回のパブコメ結果の解説も。
    また、アメージング・グレイスの歌と虐げられてきたどうぶつについての記述には、泣いてしまいました。
    ジュルちゃん、hana*さん、また私たちにいろいろ教えてくれて有難うございます。





    文字色11月26日追記;
    バナー製作者である
    【そうにゃんだ】さんより『第1部・動物愛護法交流集会@大阪(THEペット法塾主催 2012年11月18日)
    更新記事をリンクさせて頂きます。

    8月に愛護法で改正された内容についての解説記事
    『動物愛護法改正案が発表されました』
    で、分かりやすく書いて下さっています。
    私もまだ完全に把握していない状態なので、勉強しなくては。





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    このバナーを製作されたのは
    ブログ『そうなんだ!』【大拡散!!】8週齢規制みんなで一つになろうキャンペーン!中の、にゃんとらさんです。



    ジュルのしっぽのhana*さんが発信している8週齢規制を実現させるために、
    8週齢未満の仔猫・仔犬をおかあさんから離して、販売してはいけないんだよ!ということを
    みんなの常識にしちゃいましょう♪

    詳しく知りたいかたは、ジュルのしっぽへレッツゴー☆彡
    (ちなみに今、hana*さんが動き出しているのは、前回の動物愛護法改正のパブコメにも盛り込まれた『動物実験』についてのメール・アクションです。


    *このバナーは、常時トップに来るよう設定しています*

    もうやめろよ

    とあるトランス女性のつぶやきを読む。
    昨日から今日にかけて、酷く落ち込んでるどころじゃない。
    死にたい、殺せと悲鳴をあげている。

    どう声をかけていいか分からず、ただその言葉を見つめるだけの自分。
    でも、あなたの悲鳴を聞いていることだけでも伝えたい。
    伝えたいけど、言葉が見つからない。
    トランス差別を止めさせられない自分の責任を考えると、どうしていいか分からなくなる。

    (今まで生きてきて、良いことなんかなかったなぁ)

    私が34歳のときに泣きながら思った言葉。
    何度も死のうとして未遂で終わった。

    あの時と同じように彼女がつぶやいてる。

    目の前で死のうとしてる人がいたら、貴方はどうしますか?
    大勢に囲まれ、石を投げられ、悲鳴をあげている人を見たらどうしますか。
    自分にとって邪魔な相手だったら知らん顔して見て見ぬ振りをする?
    それとも囲いに混ざって石を投げる人になる?

    どうかお願いだから、殺さないで。
    誰かが本当に死んでしまうよ。
    10代の子が自殺したとツイートされたことがあったよね。
    あんなの作り話だと言ったね。

    でも、サバイバーだって自殺するよね。
    どうしてトランス女性には嘘だというの?
    もうこんなこと止めませんか?っていうか、今すぐやめろ。

    どうして犯罪者が怖いといいながら、トランス女性を標的にする?

    私が毎日死にたい死にたいと、死ぬことしか考えられなかった頃と彼女の悲鳴が重なって本当に苦しいです。
    それでもまだあの頃の私はネットがなかったお陰で、罵詈雑言を見ずに済んだ。
    しかし彼女たちは、毎日毎日、ずっとこの状況にさらされているんです。
    「嫌なら見るな」?
    こうやって「あなたはここに居るべきではない」ということが排除であり差別なのです。

    何の罪も無い人を排除するな。殺すな。


    水晶の夜とトランスジェンダー差別

    例えば、
    「男に何やかんや言われたくない!」という声をよく聞く。
    実際、私自身、生活の中やネット内などでも思うこともある。
    しかし、本当にそうなんだろうか。

    差別の構造という基本的な認識として、
    人は、その時々の立場・環境によってマジョリティにもマイノリティにもなる。
    絶対的で普遍的な人間など無いんじゃないか?
    まあ、その「時」の社会的立場によっては、絶対的権力を持っている総理大臣とか警察とかは存在するが、
    その権力(職業)を手放し、病気になったり障害を持ったり、年を取ったりすると、
    その絶対的権力を持っていた人でも、人間性に関わらず「弱者」になる。

    この終わりが見えないようなトランスジェンダー差別が続く今、
    「差別」というものに対して、本当に男性は批判してはいけないのだろうか?
    差別を批判することに「資格」というものが必要なのだろうか?
    今まで散々、男たちは偉そうに踏ん反り返って抑圧してきた側だから?
    誰のことも差別をしたくないと思っている男性が、目の前で行われている差別に対して口を開いてはいけないのだろうか?
    男から女に向ける批判は、確かにとても難しい。
    自分が男だったら、きっと女性を批判することを躊躇ってしまうかも知れない。

    でも、やめてほしいと言うことさえ許されないのだとしたら、
    差別のない社会をどうやって手に入れられるというんだろうか。

    確かに私たちフェミニストは女性たちの奪われてきた権利の回復を訴え、
    拒絶され、無視され、それでも諦めず声を上げ続ける。
    そうやって、少しづつ社会は平等に近づき、差別することで得るものなんて何も無い、
    誰も差別されない社会は誰もが生きやすい社会なんだと、
    私はそういう理想を持っているんですが、お花畑ですかね?

    でも、この理想を実現させるために重要なことは、
    相手が理解してくれるまで「待ち続ける」ことじゃなく、
    「先ず、踏んでいる足をどけろ」と言うこと。
    半ば、強制的にでも「踏んでいる足をどけろ」と言うこと。

    だから、フェミニストたちは”法的に””制度として”
    「先ず、女たちを踏んでいる足をどけろ」と言っているのです。
    理想の社会を作ることと、どこにも矛盾はないように思うのですが。

    例えば、アニマルライツでもそうです。
    畜産動物やペットショップやネットでの生体販売、動物への虐待、パピーミルの現状に対し、
    理解されることより先ず、法的に「それは禁止」と求めます。

    子どもへの虐待も、先ず命を率先して守るために「虐待者から引き離す」ことを優先させます。


    「先ず、その行為を止めさせる」ことを優先するからこそ、その次に繋がるのです。
    それが出来なければ次に繋げられないのです。そうでしょ?
    踏んでいる足をどけないままでは、踏まれた側はいつまでも踏まれ続けるからです。


    例えば、ある地域に精神障害者が住める施設を作ろうとすると、地元住民が反対運動をしたりします。
    精神障害者は病院などで長期入院で隔離されたり、親が居なくなると孤立します。
    そんな皆が地域で暮らしたいと願って住居型施設を作ろうとすると、あちこちで反対運動が起こります。

    反対する住民は「精神障害者って、よく判らないから怖い」とか、
    「暴れたり犯罪を犯したりされたら安心して暮らせない」から、自分たちのエリアに入って来るなと言うのです。
    「精神障害者が地域で暮らすために私たちの地元が犠牲になるのか」と。
    そうやって不安や恐怖を理由に排除するのです。
    これが差別です。

    それでも尚、
    「私たちはトランス女性を差別したいんじゃない。不安な気持ちを言ってるだけだ」
    「不安や恐怖を言ってるのに差別だと言われ、私たちの安全を奪うのか」
    「トランス女性のために、私たち生物学的女性・生得的女性が危険に晒されるのか」
    これを本心から納得できるというなら、やはり貴方も差別をする側なのです。

    誰もが差別されない社会とかを求めていないなら、そもそも、女性の差別もなくなりません。
    「ウィメンズマーチがトランスに乗っ取られた」と怒り、ここまで侵食して(生物学的・生得的)女性を排除するのかという声を多く目にしました。
    あらゆる差別をなくそう、なんて絵空事だと。

    「水晶の夜」と比喩されたことに激怒し、嘆き悲しむシス女性がたくさん居ました。
    私たちが言っていることを大虐殺と関連付けるなということです。
    そうは思われたくないですよね。誰だって。
    でも、さっき書いた精神障害者施設排除の運動にしても、十分に「水晶の夜」に繋がる事です。
    そうやって人々の偏見や無知、不安から発展するのが差別であるからです。
    それをいくら否定しようと、歴史を知る人から見れば「水晶の夜」そのものなのです。
    ナチスだけでなく、この日本という国こそマイノリティを虐殺してきた歴史があるじゃないですか。
    (知らないとは言わせないよ)
    ファシズムというのは、マイノリティを排除し優生思想を利用し、民族主義を高揚させ、
    人々を殺人者にするものだと私は思います。
    ナチスも大ニッポン帝国も、他民族を虐殺し、同胞である同性愛者、精神障害者、身体障害者、自由主義者、共産主義者、宗教家たちを徹底的に差別し、虐殺に至らしめたりしましたよね。

    「生得的女性」だの「生物学的女性」だの、表現的にはそのせいで差別をうけている、と言っていますが、この言葉はまさに「優生思想」そのものです。
    だから批判されるのです。

    で、最初の話に戻ります。
    男性が女性を批判してはいけないのか。
    トランス排除を言うシス女性たちの多くは「男性に言われたくない」と言います。

    しかし、シス男性からの批判の声は、人として差別を見てみぬ振りは出来ないからしていることであり、
    シス女性への圧力とか抑圧とかにすり替えてはいけないのです。
    ただ、それを利用してミソジニストが乗っかっていることは知っています。
    そのことに怒っているのは私だけじゃないです。
    だったらミソジニストを批判しないのか!という声も知っています。
    けれど、彼女たちは本当に差別をなくしたいと思ってないことが分かってしまいました。
    もし、今回のトランス差別を、そのミソジニストたちが始めたとします。
    そうしたら彼女たちは抗議の声を上げたでしょうか?
    トランスジェンダーの人々と連帯して、差別やめろミソジニストめ!と言ってくれたでしょうか。
    けれど実際は、シス女性たちがそれ(ミソジニストによる批判)を拠りどころにして差別を正当化しているのです。


    マジョリティとマイノリティの立場というものは、何度も何度も書いているけど、
    その人の置かれた状況・環境によって入れ替わったりするのです。
    だからシス男性だといってもマイノリティになるし、シス女性もマジョリティになるのです。
    私は日本国籍のシス女性としてマイノリティであるけど、在日韓国朝鮮人、在日外国人の人々にとってはマジョリティであり、トランスジェンダーの人々にとってもマジョリティであり、
    それから色々な面でもマジョリティであると自覚しています。

    どうしても自分がトランス女性に対しマジョリティであることを認めたくないシス女性たちは、
    シス男性のマジョリティ性を利用して批判をかわし、シス男性に批判させない空気を作り、
    最悪なことにトランス女性を「男性」とジャッジしているのです。いつまでも。
    何度も何度も書いて来たけど、男性とジャッジすること自体が差別ですし、
    彼女らにとっては、男性で居てもらわないと困るんです。
    自分がマイノリティで居たいから。それだけの理由ですよ。
    マイノリティからの抗議は差別にならないということを知っているからです。
    差別の正当化以外に理由はありません。

    学者や専門家、ウィメンズマーチが自分たちの味方をしてくれない?
    自分が踏んでる足をどけたらどうですか?
    差別をやめろとしか言いようがないですよ。

    そして、これも何度も書いていますが、ミザンドリーをとことんまで単純化して煮詰めすぎると、
    「男性障碍者のちんちんの世話までさせようなんて、どこまであつかましいの!」と平気で言ってしまえるのです。
    私は血の気が引きました。この女性のつぶやきに900近いいいねが付いていたからです。
    こんなに多数の人間が、男性の障害者の性の介助に対して差別を肯定しているのです。
    相模原の障害者施設でヘイト虐殺事件が起こった背景には、こういった言動への疑いを持たない、
    肯定する人々が多くいる日本社会があるのでしょう。
    こんな発言をする人をRTしたり、いいねしたり。どうかしてるんじゃないですか?
    「水晶の夜」に例えられて当然ですよね。


    レイシズムにまっしぐら

    生物学的女性だとか、トランスの定義は?だとか、差別の定義は?だとか言うレイシストと、
    それに同調する、或いは黙認する、或いは積極的にRTいいねしてる人たちを、
    心から軽蔑します。

    性暴力サバイバーだろうが何だろうが、差別を差別と思わない人に対し、
    説得しようとしてきた私が更にまた甘かった。
    彼女らは、別に差別や抑圧と闘っているわけじゃなかったんだ。
    じゃあ何と?って言われても「さあ・・・?」としか言いようがない。

    これはもう、自分を省みるとかいう話ではなかったんだ。
    もとから見ている世界も目指した世界も全く違っていただけなのだ。
    差別だと指摘されて、気まずくなって逆ギレしたとかいう話じゃなかったんだ。

    排除の論理がこんなにも広がり、差別と言う暴力を容認するような社会になってしまったのは、
    なにも安倍政治のせいじゃなく、もともと日本人が過去の歴史を修正し、
    加害行為をなかったものとし、謝罪したり歴史に学ぼうとしなかったり、
    「自分たちこそ被害者だ」というメンタルで代々繋げてきた民族性ゆえなのだね。

    ネトウヨ嫌いだから一緒にするな?
    いやいや、同じでしょ。
    トランス女性を男性だと言って排除したでしょ?
    生物学的女性とか、性別を曖昧にする危険性とか、言ってることは優生思想そのものでしょう?
    優生思想を拠り所にして、トランス差別を正当化しているでしょう?

    優生思想の行き着く先は?
    様々な属性への差別の拡大。そんなの歴史が証明している。
    関東大震災で朝鮮人大虐殺が起こったのは何故?

    自分たちはそんなことしていない!って、そんなご都合主義は通じませんよ。
    今まで私は、何とか立ち止まってほしいと思って書いて来たけど、もう無理だと痛感しました。
    当事者の人たちが言葉を尽くしても省みないし通じない。
    ウィメンズマーチ主催者の人たちがトランス差別はNOと言ったら
    「あっちが悪いのに締め出された!」だってよ。
    参加したいなら、踏んだ足をどけろ。
    何かっちゃ~デストピアだって嘆く。差別が出来ない社会はデストピア?

    レイシストさん、あなたは今日から「名誉生物学的女性です」




    私は、そっちには行かない④私は間違っていたが、間違っていなかった。

    小松原織香さんのブログ。
    こちらを読んで、なにか霧の中から抜け出したような気持ちです。

    去年、私の中で色んな変化がありました。
    フェミニズムへの誤解・偏見。自称ミサンドリー。
    そして年を越してトランス排除を目の当たりにし、
    自分自身のミサンドリーを捨てるに至って、
    トランスジェンダーと連帯するフェミニストでありたいと、ここに書きました。

    先のリンクした小松原さんが書いていたこと。
    それこそ、私が辿ったフェミニズムへの道でした。

    私はここで男性の性暴力被害者を葬るような、
    置き去りにするような支援は間違っていると書き続けてきました。
    性被害に性差は関係ない。
    私は自分が社会から孤立し葬られた経験上、誰も置き去りにしないことが
    何よりの信条だったのです。

    その上で、フェミニズムは女性の権利しか言わないようだ、
    それなら私はフェミニズムとは相容れないと思ってきました。

    しかし、今回のトランス排除をいうフェミニスト達が言っていることは
    まさに私が拒絶したフェミニズムそのものでした。
    そしてトランス差別に反対するフェミニスト達は、私が求めていたフェミニズムそのものでした。

    国内外のフェミニズムの歴史のなかで、属性によって排除が行われたことは何度もあったそうです。
    マジョティとマイノリティの力関係は、社会の中で様々な形態で存在しています。
    数が多い少ないの問題ではなく、差別構造の問題だということを無視するのは卑怯です。
    男性の性被害者が女性に比べ少ないから、男性の被害者は救われなくてもいいのか?
    そもそも男性は属性的マジョリティなのだから救われなくていいのか?
    それに「イエス」と答えてしまえるフェミニストの性被害者は、とんでもないですよ。
    命の軽視とも言えます。

    性暴力被害者は仏になる必要などありません。
    でも、あらゆる理由をつけて差別を容認・肯定していいのですか?
    「シス女性の性暴力被害者にだけ」差別しても良い特権があるのですか?
    それがフェミニズムなんですか?


    性暴力被害者が踏みつける

    「私たちは、このような差別を受けている。差別をやめろ」
    「私たちには、このような理由があるのに差別と言われる。差別と言うな」
    これらはどちらも同じ「私たち」が言ってることです。

    今回のフェミニスト(性暴力サバイバー)によるトランス排除・差別は今現在も続いていて、
    性暴力サバイバーのひとりとして、この差別について一体どうしたらいいのか考え続けています。
    正直、昨年の7月以降、この件以外でもネットのフェミニスト(性暴力サバイバー)に対して、距離感を覚えていました。
    共感出来ることが段々少なくなり、ちょっと私とは違う思考だなと思うつぶやきが多かった。
    自分がおかしいのかと自問自答していました。

    そんな感じで眺めていたサバイバーたちが、この排除を言い始めた。

    「不安や恐怖を訴えることが何故『差別だ!』になるのか」
    「差別と言われ、私たちはまた後回しにされる」

    私の知る範囲の認識として、彼女らの言っていることの大まかな流れ。
    ○昨年、お茶ノ水女子大に、トランス女性も入学できることになったと報道があった。
    ○その報道を受けて、ネット内でフェミニスト(主に性暴力サバイバー)の中から不安の声があがる。
     「トランス女性を装った男性が女子トイレに侵入して性犯罪に遭うのではないか」
     「トランス女性と、女装して偽装した犯罪目的の男性を、どう見分けるのか」
    ○性自認によって女性と認められるなら、偽って「私は女性と性自認している」と言えば
    犯罪目的の男性が入学出来てしまう(百田氏のツイート等も、それを煽るものであった)。
    ○お茶の水女子大でのトイレの話から、一般公共施設のトイレや公衆浴場に飛び火する。
    ○どんどん話の中心は女子大よりも一般公共施設、トイレ浴場がメインになる。

    この、一般公共施設の話になって、更にトランスジェンダーに対する排除が加速していったように思います。
    しかし、トランス女性を受け入れてる大学は、お茶の水女子大が史上初めてという訳ではなく、
    あらゆる大学にトランスジェンダーは過去も現在も進学しているという事実です。
    もちろんLGBT含め、あらゆる属性の人々がです。
    今回、お茶の水女子大は、トランス女性がより学びやすい環境にするという表明だったと思うのです。
    実にフェミニズム的な前進ではないでしょうか。

    「トランス女性と偽装した男性加害者を見分ける方法があるのか」
    「いや、見分けるためにトランス女性にはバッジ等の目印をつけるべきだ」
    「私たちシス女性は、不安や恐怖を言うことさえ許されず差別者と言われるのか」
    「シス女性に犠牲を強いてまでトランス女性を優遇するのか」
    といった論理に正当性があるのか、
    立ち止まって考え直すことは本当に不可能なのでしょうか。

    立ち止まることなく突き進んだフェミニストたち(親フェミ男性含め)は、
    この流れから「公衆トイレや公衆浴場にトランス女性を入れるべきではない」と言っていますよね。
    それは「トランス女性を偽装した男性加害者が侵入するからだ」と。
    そしてついには、パス度に優劣をつけ、ペニス持ちトランスは云々、
    更にトランス女性は性加害予備軍などとヘイトの限りを尽くすまでに至っている。
    偽装した性犯罪加害者への憎しみと同列にトランスジェンダーへの蔑視を露にしています。

    何故か?
    私には本来の彼女彼らの差別心が露呈したのだろうと思う部分と、
    何度も書いたようにミサンドリーを煮詰めた結果にあると思っています。
    この現状のなかで、排除を言うフェミニスト(特に性暴力サバイバー)を擁護できる要素が本当にあるのでしょうか。
    前にも書きましたが、私には無差別殺人と同じように見える。

    性暴力被害者は、社会の隅っこに追いやられ、
    それでも生きて、生きられなかった仲間もいて、
    やっと声を上げているんですよね。
    性被害を訴えても信じてもらえなかったり、落ち度を言われたり、笑われたり無視されたりしましたよね。
    私はこの世界から葬られたと思って来ましたし、疎外感しかなかったです。
    皆さんはどうでしたか?今も続くトラウマや後遺症に苦しんだりしませんか?
    私はあれから何十年経っただろう?でも未だに癒えたとは到底言えません。
    常に疎外感は残ったままだし、存在を軽んじられていると思っています。
    それは私個人に対してでもあり、女性全般に対してでもあります。

    私の信念というとおこがましいですが、自戒を込めて言いたいです。

    あれほど苦しい地獄を見て、この先も強弱あれど苦しみは続くかもしれない。
    踏みにじられる経験をした私は、他の誰かを踏みにじりたくない。
    もし、自分がそんなことをしてしまったら、自分の弱さと向き合うべきだ。
    恥じて、もう一度立ち止まって考えるべきだ。
    差別に加担はしない。暴力に加担はしない。人の涙を嘲笑うことはしない。
    人間として一番恥じるべきことだけはしたくないし、しないように努力する。

    みんなで生きよう。連帯しよう。
    私は、フェミニズムとは、そういうものだと信じています。
    どんな属性であれ、差別を肯定することは絶対悪という共通認識ではなかったのか?
    時によって、人によって、場合によっては「差別は必要悪である」ということなのか?






    憎悪の行き着く先にある尊厳とは

    自分の性暴力被害・性差別を訴えたいとき、
    自分がそこから救われたいとき、回復したいとき、
    誰かを貶めて踏み台にして立ち上がろうとする人は居ます。
    実際、私は2人ほど、現実にそういう人と出会いました。

    私を貶めて自分のバランスを取ろうとする。
    本人は必死なので気付いていないと思うけど、されたほうは更にダメージが深くなるだけ。

    今回のトランス排除に加担している性暴力被害者もこれと同じ原理です。
    シス男性への憎悪が原点ですが、憎悪を煮詰め過ぎると、
    やっぱり排除と憎悪の対象が広がっていくのですね。
    事実、シス男性からトランスジェンダーへと対象が増えました。
    自分を守ろうとすればするほど、他の属性が邪魔になる。
    排除に正当性が欲しいから、色々と理由を作り出す。
    しかし、もう一線を越えているので、差別することに躊躇すらしなくなっている。
    排除される側にとっては、これほど理不尽な暴力はない。

    もし、それで貴方たちの鬱憤が少しでも晴れたり、
    貴方たちの失った尊厳が一瞬でも回復したように思えても、
    それは醜い自尊心を得るだけです。

    気持ちなんか晴れてない、毎日泣いているんだと言うでしょうが、
    人を踏みつけておいて、踏んだ足が痛くて泣いているんですか?

    貴方たちが欲しかったものを手に入れようとしているだけでしょう?


    私は、そっちには行かない③(ミサンドリーについて)

    今、自分自身を振り返って、とても反省しています。

    去年の後半あたりから、自分をミサンドリストだと思っていた時期がありました。
    性暴力被害に遭い、この世の延々と続く女性差別に諦めと絶望でミサンドリストになったって仕方ないよね、と思ったのです。

    しかし、このトランスジェンダー差別の中、
    ミサンドリーは何か違うんじゃないかと、このミサンドリー思想に焦点をあてて、
    もっと掘り下げて考えなきゃならないと思いました。

    この一連の流れを考えたとき、これがトランス差別に大きく影響しているのではないか。
    これは、反性差別の人たちが口々に語っていることでも分かるように、
    性暴力を犯すのは「加害者」であり、性別で区切るものではないという絶対的な事実です。
    確かに圧倒的にシス男性が多いかも知れませんが、そこが最大の落とし穴なのかもしれない。

    シス男性 対 シス女性という2つだけの属性だけで考えてしまいがちになるんじゃないか。
    その構図を絶対的なものにしたい欲求があるんじゃないか。
    様々な性の属性をないものとすれば、単純化できるから。

    こうなると、トランスジェンダーはどっちに入るのか?
    トランス男性もトランス女性も「男性」という枠に入れれば、
    自分たちシス女性は「完全なるマイノリティ」という位置に居られるわけです。
    そこには「では、女性として生まれて男性になりたい(なった)男性は、女性になるんじゃないか?」という矛盾が生じる訳ですが。

    ********************************

    とにかく、私が自分を省みて思ったことは、
    憎悪というものは諸刃の剣なのかも知れないな。
    そこに至った事情はあるけれど、それで誰かを刺してしまったら、
    無差別殺人と同じなんじゃないか、と。

    自分以外の属性への排除を肯定することは、まわり回って自分への排除になる。
    これは人権の基本でもあるのに、人権云々は置いといてと来る。
    外国人が犯罪を犯したら、今度は外国人が標的になる。
    障害者が犯罪を犯したら、今度は障害者が。
    現実に今現在、マイノリティへのヘイトクライムは起こっているのですが。

    憎悪はこうして刃物みたいに鋭くなって、自分の周りを切って行く。
    憎悪は、いつか自分以外の差別に鈍感になっていく。

    私は、男性嫌悪を捨てました。
    捨てたのは今日なんですけどね。
    そうしたら、すごく気持ちが楽になりました。
    「男がなにを言う」って気持ちもなくなりました。
    勿論、ヘイトをしてくる者へは怒りを持っています。属性に関わらず。
    逆に、男性たちがトランス差別反対を表明していることも嬉しい。

    凝り固まってしまった男性嫌悪を解放するのは、自分で考え続けることだと思う。

    怒るべき相手は、ただただ「加害者」であって、
    自分以外の属性を排除することじゃない。

    けれど、実際、私は無知で無関心だったと思う。
    今回、たくさんの当事者の人たちの話を聞いて、自分が何にも知らなかった現実ばかりでした。
    本当に無知で無関心で情けないです。

    誰も差別されない社会を目指したい。
    全ての差別に反対だし、自分を省みる。
    これからも自分を省みる人間でありたいです。

    私は、そっちには行かない②

    私が知らなかっただけなんだろう。
    なんか、もっと以前からフェミニストによるトランスジェンダー差別というのがネットの中であったようですね。

    私は去年、フェミニスト開眼して、ミサンドリー宣言みたいなのをしちゃって矛盾してますが、
    これはよくなかったなぁと、今、思っています。
    シス男性に対する恐怖心・不信感というのはどうしてもあるのですが、
    これも一線を越えると、今回のように、トランス女性は元々男性だったのだからマジョリティだという暴論にまで行ってしまったり、男児も被害に遭えとか、男児を産んだ母親も加害者だとか、
    もうネトウヨ・ミソジニストと変わりないくらいのグロテスクなヘイトスピーチをするシス女性までいるのだから、
    いくらミサンドリーがシス男性加害のせいだと言っても、もうそっちにも行きたくない。

    ********************************

    私が通院してた頃、院長には何でも本心を打ち明けていました。
    そして、このブログでリンクしているエッグスさんの境界例からの回復というサイトに、
    自分自身で回復させる方法のひとつとして、
    自分の心の中の怒りを、倫理とか善悪を考えずに書き出してみる、というようなことが書かれていました。

    それまでの私は、自分の中に怒りがあることすら気付いていなく、
    何にも怒っていないよ?と院長にも言ったくらい、自分自身の根っこにあるものに蓋をしていたのです。

    それで、自分には何の怒りがあるんだろう?と考えるようになり、
    母親に捨てられたこと、利用されたこと、裏切られたこと、もっと愛してほしかったこと等、
    子どもの頃から持っていた自分の本当の気持ちに向き合うようになったのです。

    そして、強姦されたこと、加害者への怒り、恋人への失望と怒り、私を放置した社会への怒り、
    まあ、いろんな怒りが出るわ出るわ。
    私は怒りだけの人生だったのかと思うくらい、怒る人間になりましたとさ。

    エッグスさんが善悪を考えずに怒りを書き出す方法を教えてくれたんだけど、
    それはあくまでも非公開の場、自分だけしか見ない前提だと理解していましたし、
    エッグスさんもそのように言ってたと思います。

    つまり、その作業は公にするべきではないのです。

    PTSDになると、勿論人にもよりますが感情の起伏が激しくなったり、攻撃的になったり、物事を歪んで捉えてしまったり、
    まあ厄介な精神状態になるので、なかなか自分をコントロールが出来なかったりするのです。

    被害者の回復状態や過程も人それぞれですし、
    元々の性格も違うから、出てくる感情も思考も色々です。

    そして、今回のトランス排除は、回復のための作業どころか、
    自分のためなら他者を踏み付けても構わないという境地にまで達してしまいました。
    フェミニスト自称してるから、やいのやいの言われるんだったら、じゃあフェミ捨てちゃえばいい。
    シス女性の性暴力被害者が一番救われるべきだから、私が一番救われるべきだから仕方ないじゃないかと。

    詭弁の羅列に賛同者。いい加減にしろ。
    「トランス女性側について生得的女性(特に性暴力サバイバー)の人権踏みにじって差別して正義面」
    こんなのに賛同してるんだよ。。。

    もう、どこから指摘していけばいいのでしょうか。
    たくさんの人が噛み砕いて指摘しても、全く通じない。
    トランス女性というところを○○に変えてみて、と言っても通じない。
    こういうことを言うことが「人権の放棄」だと分からないんだもの。

    今回、トランスジェンダー排除に関わっている性暴力被害者に、
    私は正直、打ちのめされています。
    シス男性への恐怖心・怒りは解るけれど、超えてはいけない一線を越え、
    開き直って加害している様を見せ付けれて、本当にショックを受けています。

    トランスジェンダー当事者の人たちに、申し訳ない気持ちでいっぱいで、
    寝ても覚めても、どうしたら良いのだろうかと自分の非力を思い知っています。

    もう、あの人たちは省みないでしょう。
    このまま突き進んで行って、で、また時間が経って、トランスジェンダーの人たちを傷つけたことも有耶無耶にしていくんでしょう。
    止められないのが本当に悔しい。

    何を言ってるんだ、貴方たちは。
    自分が何を言ってるのか、意味を分かって言ってるの?
    そればかり思う。
    シス女性の被害当事者に、こんなことを言わなければならない日が来るなんて、
    本当に想像もしてなかった。自分が甘かった。

    性暴力被害者に寄り添いたいと思う優しさは大事ですが、
    これを「気持ち分かるし」で許してしまう社会でいいのでしょうか。

    こんなもの、私は望んでませんよ。

    私は、そっちには行かない

    去年、フェミニズム開眼し、ミサンドリー宣言しちゃった私なんですが、
    私はトランスジェンダーと連帯するフェミニストになりたいと表明します。

    去年の御茶ノ水女子大のトランス女性受け入れの件から、今現在にかけて、
    (いや、私が知らなかっただけで、今までも色々あったようですが)
    ネット内のフェミニストたちによる、トランス女性への人権侵害と排除が広がっていく様を目の当たりにしています。
    はじめは、トランス女性を装ったシス男性が、犯罪目的でトイレなどに入り込むことへの不安をつぶやいていたのが、
    いつの間にかトランスジェンダーへの排除に変貌していったのです。


    私はシス女性として、マジョリティ側にいることを自覚しました。

    私は以前、犯罪被害者となったことで、加害者にも成り得るということをここに書いたことがあります。
    その時は漠然とそう思ったんだけど、今、このマイノリティ排除がまかり通ってしまう現実を見て、こういうことだったんだと改めて思っています。
    加害者に成り得るというのは、犯罪に限ったことではなくて、
    普通の日常の中でどんな時も起こりうることで、
    ファシズムに加担する、差別に加担する、こういうことでもある。
    これらは人の命を奪うくらい、暴力的な加害です。

    性犯罪に遭った私は、ミサンドリーになるほど男が怖いし嫌いです。
    シス男性は恐怖の対象であり、老後、ひとりぼっちになったら、
    どうやって生きて行こう?と真剣に悩んでいます。
    女性の一人暮らし、年を取っても女性であるだけで色んな犯罪の被害者に成り得るのが恐怖なのです。
    だから、シス男性を怖がる気持ちは解る。
    でも、トランスジェンダー排除には全く共感出来ません。
    解りたくもない。
    ある人はシス女性を表す言葉として「ネイティブ女性」とも言っていた。
    ひどいよね。トランスジェンダーへの加害には際限なし?
    この暴力が横行してる現状に、寝ても覚めても、そのことばかり頭の中でグルグルしています。

    どどどっと、ネットのフェミニストたちがマイノリティ排除のほうへ行ってしまった。
    あの人も?この人まで?と、ちょっと人間不信に陥るほどです。
    ここには書けないような、暴力的でグロテスクな言い方・表現に賛同する人が多数。
    差別とは暴力なんだと心底思う。
    トランスジェンダーの人たちを傷付けて、一体なにがフェミニズムかと言いたい。

    シス女性だけのためのフェミニズム?
    トランスジェンダーは専用のトイレ・浴場に行け?
    そんなの一ミリも共感できません。
    全く賛同できません。

    今までフェミニストたちは、
    殆どの性暴力加害がシス男性によるもので、
    本来、シス男性たちが自分たちの問題だと認識し解決するべきだと訴えて来たのだから、
    シス女性によるトランスジェンダー差別は、トランスジェンダーが解決すべき、ではなく、
    私たちシス女性がなくさなければならないと思い、ここで表明したわけです。

    何なんだろう。
    日本が右傾化してると海外からもよく言われていますが、
    あっちもこっちも排除の論理へ簡単に流れ過ぎなんじゃないか。
    自分たちの権利を脅かすと思い込んで、よりマイノリティを踏みつけることに躊躇しなくなっている。
    一線を越えてしまっている。

    自分が非力すぎて情けない。どうやったら良いのかどうしたら良いのか、わからない。。



    プロフィール

    みぃ

    Author:みぃ
    2019年2月プロフィール更新しました。


    誰も咎めない、哂いものにしない.
    全ての差別に反対することは不可能なことじゃない。
    だから自分の間違いに気付けるようになりたい。


    境界性人格障害・レイプによるPTSDの患者でした。


    08年、社会復帰したので、本格的にレイプと闘う気持ちになりました。
    レイプ被害の現実などを、自分の一例としてたまに書いてます。
    何か私にお話がありましたら↓(メルアド変わりました)
    chibinet77(☆)yahoo.co.jp (☆)を@に変えてメールください。

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